令和6(2024)年度から、天守台耐震補強工事に伴い4本の杭を設置する場所の発掘調査を行っています。
令和6年度は、北東杭・南東杭設置箇所の発掘調査を行い、石垣の裏込めや築城時の盛土などのほかに今から約2,500年前から約2,400年前の縄文時代晩期の盛土遺構が見つかっています。出土した縄文土器などは、現在弘前城二の丸の弘前城情報館で展示しています。
令和7(2025)年度は、北西杭・南西杭設置箇所の調査を進めています。7月4日金曜日には、これまで発見された調査成果の報道公開を行いましたので、その内容をお知らせします。
標高46mのところから礎石跡1基(礎石跡1)や柱穴2基(柱穴1・柱穴2)、土坑2基(土坑1・土坑2)などが見つかりました。いずれも文化7年(1810)に天守が再建される前のものです。礎石跡や柱穴は、絵図などから、当時存在したとされる辰巳櫓の北側に付随する多聞櫓、もしくは多聞櫓に関連した建物の一部と考えられ、少なくとも2回建て替えられていたことがわかりました。
北西杭設置箇所全景(写真右下が北)
標高42mのところでは、17世紀中頃から寛文13年(1673)の石垣裏込め、弘前城築城時の盛土、縄文時代晩期の遺物包含層、縄文時代晩期の盛土遺構などが見つかりました。縄文時代晩期の盛土層は、石垣積直し工事の際の調査でも見つかっており、南西杭設置箇所まで延びていることがわかりました。
縄文時代晩期の盛土遺構全景(写真上)と土器出土状況(写真下)
縄文時代晩期の盛土遺構から築城時造成土の堆積状況
このまま記録調査を進め、地下遺構の有無を確認します。
重要文化財である天守の基礎の耐震化のため4本の基礎杭を設置するものです。
詳細は広報ひろさき7月1日号をご覧ください。